古都アユタヤ・チェンマイをめぐる、タイ国有鉄道の旅
アユタヤ、チェンマイ
日本に奈良・京都があるように、ユネスコの世界遺産にも登録されているアユタヤ、「北方のバラ」「宝石の街」といわれるチェンマイは、タイを代表する古都。点在する寺院や遺跡、いまも受け継がれる伝統工芸、歴史を語る古い街並み……と、とにかく散策してるだけでも楽しい街です。
で、今回はそんな古都をめぐる旅なんですが、実はこのふたつの都市とバンコクは、タイ国有鉄道・北本線で結ばれています。バンコクからアユタヤ経由チェンマイまでの鉄道運行距離は751キロ。だいたい東京─青森間くらいですね。乗車時間は合計約12時間。飛行機でたった1時間なんて味気ない!というわけでタイの農村風景なんかを車窓に眺めながらガタゴトのんびり鉄道の旅で参ります。とくにアユタヤ─チェンマイ間は寝台特急らしいので楽しみです!
なお旅の予定としては
- 1日目:バンコクを出発、アユタヤへ。3つの川に囲まれたアユタヤを船で周遊。
- 2日目:アユタヤの街中を散策後、夜行特急に乗り込みチェンマイへ。
- 3日目:チェンマイ到着。ランナー王朝ゆかりの寺院や遺跡めぐりなど。
- 4日目:チェンマイ近郊の伝統工芸の村を見学。チェンマイの街中散策。
といったようになっておりますのでよろしくお願い申し上げます。
バンコク・フアランポーン駅。
Mar 18[Wed],2009 13:30というわけでバンコク・パトゥムワン区にあるフアランポーン駅から出発です。ここはタイ国内最大のターミナル駅でタイ鉄道の起点。旅がはじまる場所にふさわしいですね。一歩構内にはいると、そこはたかーいヴォールトの天井にサッカーコートがまるっと入りそうなくらいの広々ロビー。おお、かっこいい。こういうターミナル駅、日本にはあんまりないですね。大きな荷物をいくつも抱えてプラットフォームに急ぐ人々、あるいは発車時刻までベンチや床にすわりこんで思い思いに時間を過ごす人々などなどでいっぱいです。
まずは正面奥にある窓口でチケット購入ですね。「パイ・アユタヤー、ヌンコン。パイ・アユタヤー、ヌンコン」(アユタヤまで1人、アユタヤまで1人)と何回も呪文のように練習していると、後ろに並んでいたお兄さんがちょっと半笑いで“nung-koohn”と、発音を直してくれました。どうやら、「人」という意味の「コン」は、もっと鼻から空気をぬいてフランス語っぽく(偏見?)発音するらしいです。むむむ難しい……とか言っているうちに、順番が。
どきどきしながら「パイ・アユタヤー、ぬんこーん!」すると駅員さんから、ぽーんとチケットが。つ、通じた! 「サワディーカー」(こんにちは)と「コップクンカー」(ありがとう)と「アロイ」(おいしい)以外で、初めて通じたタイ語です! そしてお値段は三等車自由席で衝撃のおひとりさま15バーツ。1時間半も乗るのに……
バンコク14:30発快速急行109号、まもなく発車します。
Mar 18[Wed],2009 14:15アユタヤ行きは8番線から14:30の発車です。そろそろ電車に乗りこんで席を確保しなければ。自由席ですからね。車内わりと込んでますし……と放浪の末、とりあえず着席。車内はクーラーなし扇風機のみ。三等車ですからね……多少暑いです。前の席は、買い出しらしき大荷物を持った若き女性、そのとなりにはお子さま連れの若きママさん、そしてそのとなりには、さっきから私の視界の端でつかず離れずうろうろしてる怪しいお兄ちゃん……誰ですかアナタ。
ということで思い切って話かけてみた彼の名はドームくん。どうやらだいぶんな鉄道マニアらしいですよ。サムセーン駅近くに勤務してたお父さんに連れられて、3歳のころからほぼ毎日のように列車に乗ってると。いま通っている高校を選んだ理由は「線路沿いだから」なんですと。こっちもカメラをもって鉄道の写真を撮っていたので、同じ鉄道ファンだったと思って近づいてきたとか。
その後も「4月から日本のブルートレインも登場しますよ」とか「日本の線路の幅は1067mmで、タイの1000mmより若干広いです」とか、とにかくラックシー駅でフアランポーン駅へ引き返すまで(いいですか、つまり彼はどこに用事があるわけでもなく、ただ電車に乗っているんです)、ずっと鉄道の話ばかりのドームくん。あまり熱心だったので、日本の鉄道図鑑を買って送ってあげる約束をしてわかれました。とってもいい子だったんですけどね。列車の中で、何度も他人の荷物を棚にあげたりおろしたり。でも彼女ができたらちょっとはちがう話もするんだよ。あと最初は怪しいひとだと思ってごめんなさい。
電車は田園地帯を走りぬけて。
Mar 18[Wed],2009 15:40わたしを乗せた電車はすっかり街をぬけ、車窓には青々とした田んぼ、牧草地、雑木林が流れていきます。普通に観光旅行してるとこういうなにげない地方の風景って見ないですからね。ぼーっと窓に貼りついていたら、さっきまで晴れていた空がだんだん暗くなって、あっという間に雨になりました。ので、向かいのおじさんと一緒に決して立て付けがいいとは言えない窓をガタガタいわせながら閉めます。ああとたんに車内は蒸し暑く。
となりのボックスには、いつのまにか入れ替わった若者たちがわいわいにぎやかです。どこに行くの?と聞くと、「アユタヤのちょっと先のロッブリーまで行くんだよ。ここも歴史的な建物とか多いからね。学校のレポートにするんだ」とのこと。
アユタヤはロッブリー、パサック、そしてチャオプラヤーという3つの川に囲まれた「島」。かつてはこの川を利用し、人や物、文化を運び、アジア一の交易の地として栄えた都があったところであるわけですね。今回のアユタヤめぐりは、まずその「島」を船で回ることから始めたいと思います。
アユタヤ到着。
Mar 18[Wed],2009 16:15ガッタンと、電車が止まりました。アユタヤです。いつの間にか雨も上がってます。アユタヤを周遊する船をチャーターしてもらっていますので、駅近くの船着場まで直行。赤青黄にペイントされた船が待っています。船頭さんは女性でどっしりな感じの方。どうぞよろしくです。どすこい。
パサック川を南下→チャオプラヤー川へ。
Mar 18[Wed],2009 16:20ごおおお……とエンジン音を響かせながら、船はゆったりと川へ出て、南へ南へと滑るように川面を進みます。いつも思うことですが、異国の街を船でめぐるのはほんとうに楽しいですね。人々の家や暮らしのようす、たくさんの人を乗せた渡し舟が行き交い、堤防のうえを子供たちが駆けていく……そんな風景が絵巻物みたいに、しかもむこうから次々と勝手にやってくるわけです。ラクです。歩かなくていいもの。
左手にみえる色とりどりに龍の装飾なんかを施しているのは中国寺院。お饅頭みたいな屋根はモスクですね。16世紀から17世紀、アユタヤはアジアの交易の中心地だったところ。たとえば、種子島に鉄砲を伝えたポルトガル船は、日本に来る前アユタヤに立ち寄ったとか、17世紀半ばのアユタヤの街では、43カ国が参加した華やかなパレードがあったというフランス人の記録とか、そんなことも本に書いてありました。日本や中国、インドなどのアジア諸国はもちろん、イスラム圏、ヨーロッパ各国の船が行きかってさぞや賑やかだったんでしょうねえ。それから300年余りを経て、いま私たちはきっと、彼らと同じ水路をめぐってるわけですよ。
ワット・プッタイサワン、アユタヤ王朝が始まったところ。
Mar 18[Wed],2009 17:06船ががっつんと着けられました。おお、そろそろここいらで上陸してみろということですね。でっかくて真っ白な、巨大とうもろこしみたいな塔がみえます。ここは「島」の外側にあるワット・プッタイサワン。アユタヤ朝をつくったウートーン王の最初の王宮の跡地に建てられたお寺だそうです。さっそく寺院のなかを散策。建物の間をすり抜け、うっそうと茂った木々の間を奥へ入っていくと、正面にはさっきの白い塔が見えます。アユタヤに都がつくられた直後くらいから、ずっとこのあたりを見つめてきたんですね。
船に戻ろうとした時、はらっと頭に何かが落ちてきました。虫! とおもって驚きましたが、手に取ってみると薄黄色の小さな花。ほのかに甘い香りがします。これはピクンという花で、お寺なんかによく植えられていて、花輪を作るのに使われるそうです。鳥の声も聞こえます。王様もこの花の香りを匂ぎながら、鳥の声を聴いていたのでしょうかね。
アユタヤたそがれ。
Mar 18[Wed],2009 17:46再び川です。出発してすぐに見えたのは十字を掲げたセント・ジョゼフ教会。このあたりは、外国人居住区だったそうです。華僑やベトナム、イスラム圏の人たち、キリスト教徒だったポルトガル人もこのあたりに住んでいたとか。川面からさまざまな宗教や民族が感じられるのも、国際港湾都市だったアユタヤならではって感じがします。
お次は右手に塔が並ぶワット・チャイワッタナーラーム。アユタヤで最も美しい寺院のひとつと言われています。夕暮れ時がいいらしいですが、今日は曇っていてちょっと残念。でも左右対称の構成が壮大でかっこいいです。
川の畔に白と金のきれいな塔が現れました。「スリヨータイ王妃の遺骨を納めてある仏塔」だそうです。スリヨータイ王妃は、1548年、ビルマ軍がアユタヤを攻めてきたとき、夫のチャクラパット王を救おうと、男装をしてビルマ軍と勇敢に戦った人だとか。その際、敵方に殺されてしまったわけですが、彼女の夫への献身と勇気は、いまでもタイ女性の鑑として尊敬されていると。タイのジャンヌ・ダルクって感じなんでしょうか。それぞれの塔や遺跡に物語があって、そういうのを聞きながらみるとまた違った趣きがありますね。
あたりはすっかり日が暮れてしまいました。街の灯りが川面にゆれます。ぐるっとひとまわりして、18時過ぎに出発地点の船着場に到着。
ホテルはリバーサイ。ごはんは中華。
Mar 18[Wed],2009 20:08“クルンシー・リバー・ホテル”にチェックイン。しばし休憩してから、どうやらおいしいと評判の1階にある中華レストランで夕食です。海燕のスープとか豚肉のレタス包みとか北京ダックとか以下略の本格中華を満喫。その後は、すかさず近所のマッサージ屋さんへ移行。
マッサージに身をゆだねながらお店に置いてあった雑誌をパラパラとチェック。文字は読めませんが日本の話題があちこちに載っててどうやら人気です。日本の俳優さんとか東京の人気店の紹介とか……京都の祇園祭の山鉾巡行の写真まで。ファッションやらアニメやらもろもろ日本文化が関心をあつめてるみたい。いやージャパンはクールですね、私たちとは一切関係ないことですが。ていうかむしろその「夢」を裏切る存在になってないか心配です。
疲れもほぐれたところで、ホテルの部屋へ。日本から持ってきたタイの本で、明日の予習です。17世紀ナライ王(1656–1688)の時代に活躍した天才詩人・シープラートは、アユタヤを「地上の天国」「まばゆいほどの王国」と詠んだそうです。まばゆいほどの栄華の王国かぁ……zzz
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