One expression conveys million words
その人の生き方が伝わるような
自然な表情をとらえる
楠哲也
Photographer Tetsuya Kusu
ライフワークとして、タイの山岳民族などの少数民族を撮影している楠さん。その作品には、時代に翻弄されながらも、古からの伝統を守る民族の心奥を伝える深い表情が捉えられています。
タイの街なかで働く人や子どもなど、日常のさりげないシーンの撮り方、被写体との接し方など、ポートレイトの撮影方法について教えていただきました。
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「民族とは何か」ということを、
旅の途中で考え始めた
Ethnic borders – do they exist?
- 写真を撮り始めたきっかけを教えてください。
バックパックを背負ってアジアを放浪していたとき、記録に残す手段として写真に興味を持ちました。本格的に撮影を始めたのは、タイに住み、ダイビングインストラクターになった2003年くらいからです。水中の美しさを表現しようと、始めは水中写真にのめり込みました。
- 最近では山岳民族など、タイをはじめ世界各国の人物写真も多く撮られています。その背景には、なにがあるのでしょうか。
「民族とは何か」ということを、旅の途中で考え始めたのです。
地図上の国境以外にも、民族の境界があることに気付かされました。それはたいてい明確な境ではなく、グラデーションがかかっていたり、パッチワークのように広がっていたり、ときには牛の模様のように単色のなかに違う色がまばらに点在していたり…。
少数民族といわれる人々からは、マジョリティ(多数派)の論理に翻弄されながらも、自らのアイデンティティを守り続けようとする強い意思が感じられます。彼らがおかれている状況や、古くから伝わる独特の生活様式に強く心を惹かれます。
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「光を読む」という作業が一番重要
Reading between the ´light´
- 言葉が通じないときは、どうやってコミュニケーションをとるのですか?
少数民族の村では、お年寄りはタイ語を話せないことがあります。そんなときは、近くにいるタイ語や英語の話せる若い人に通訳してもらいます。でも、会話ができなくても、ジェスチャーだけである程度は理解してくれますし、撮影させてもらえるかどうかは態度でわかります。礼節をもって接すること、自分が闖入者(ちんにゅうしゃ)であることを常に認識し、村の平穏な生活のリズムを乱さないことを一番に心がけています。
- パイプを加えたアカ族の女性、大柄なリス族の女性は、どちらもスタジオで撮ったかのような雰囲気ですね。その演出の狙いを教えてください。
彼女たちの自宅で、背景の要素をなるべく少なくして、人物を浮かび上がらせるように、意図する光がある場所に座ってもらいました。あとは自然な表情が生まれるように、談笑しながら、お互いにリラックスした状態でシャッターを切っています。
時間をかけられない場合が多いので、まずはその撮影環境のなかでどんな写真を撮りたいか、撮れるのか、というビジョンを思い浮かべます。自分の持つ技術や知識をフル動員してその時々に合わせた最良の方法を考えますが、室内でも屋外でも、「光を読む」という作業が一番重要です。
- タイ最高峰の山、ドイ・インタノンをバックにした写真が印象的です。
視界が開けて山が美しく見える場所をバイクで走り回って探しました。午後の時間だったので、順光にするために山の西側のこの場所がベストポイントでした。陽が高かったため、男性の顔に帽子の影がかかり過ぎないようにも注意しました。モデルは、ごく一般的な農民ですが、その土地とそこに住む人の雰囲気が端的に伝わってくる1枚で、気に入っています。
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その人が持つ自然な表情や
仕草を引き出す
In one´s true light
- メークローンの線路沿い市場の行商の男性は、少し警戒しながらも笑っているように見えます。撮影状況を教えてください。
出会った瞬間に気になったので、声をかけて、商品をいくつか購入したあと、撮影させてもらいました。一般の人を撮影する場合、大まかなお願いをすることはあっても、細かい部分で具体的な注文をつけることはほとんどありません。どんな雰囲気にもっていけば、どのような反応を示してくれるかを考えて、その人が持つ自然な表情や仕草を引き出すようにしています。角度が悪ければ、自分が動いて修正します。撮られることに慣れていない人は、細かい指示をすればするほど萎縮しますし、不快感を与えることに繋がりかねないからです。
- 偶然出会う被写体に対して、技術的に配慮することは?
頭の中は常に撮影モードで、被写体を探しながら、めまぐるしく変化する光や背景を計算しています。これが案外消耗の激しい作業なんです。初心者の方は、基本的な光の当たり方を理解すること、自分が撮りたい写真のフィニッシュを思い浮かべ、それに近づけるにはどんな光を探せばいいのかを考えること。それが思い浮かばなければ、自分の好きな写真をまねることから始めてください。繰り返すうちに自分が求める光が具体的に見えてきます。
- シャッターチャンスを逃さないために、カメラをどう設定しておくといいのですか?
スナップ撮影では、絞りとシャッタースピードをマニュアルに設定しています。絞りは被写界深度、シャッタースピードは動くものに対するブレと手ブレに大きく関わり、なにをどう撮りたいかによって変わってきます。
僕は、天候に合わせて組み合わせを3種類くらい用意し、その基準をもとに例えば日陰に入ったらシャッタースピードを1段下げるなど、あらかじめ予測したり、テスト撮影して覚えておきます。
- 仏像を売っている男性の写真は、かなり暗くて撮影が難しそうですが、ポイントは何ですか? 男性にはどんな注文をされましたか?
夜の暗がりの中、男性の手元を照らしているライトを効果的に活かし、必要な背景が入る位置が、ここしかありませんでした。手持ち撮影なので手ブレとピントへの注意が必要です。適正な露出にするためにはシャッタースピードを遅く、絞りも開放に近づけることになります。開放に近づけば近づくほど被写界深度は狭くなってくるので、ますますピントに注意しなければなりません。手持ち撮影では、なるべく画角が広く口径の大きい(絞り開放値の小さい)レンズを使用するほうがいいですね。この写真は、絞りF4.0、シャッタースピード60分の1、ISO320で撮っています。
ピントの合焦は、カメラのファインダー性能にも左右されます。オートフォーカスでの撮影なら、フォーカス機能の高い機種を使用すれば失敗は少なくなると思います。 この男性には、「仏像を見せて」と言っただけです。仕事中の人に、長時間つき合ってもらう訳にはいきませんから、数十秒から長くて2、3分で数枚撮ります。
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まずはリラックスして
自分から心を開く
Relax, fit in…then comes the camera
- カメラを意識させずに、自然な表情を出させるにはどうすればいいですか?
緊張は相手に伝わるので、まずはリラックスして自分から心を開くことです。一眼レフやそれ以上の大きさのカメラは、相手に威圧感を与えがちです。場合によっては撮りたい欲求を抑え、言葉や表情、ジェスチャーで、コミュニケーションのみに時間を割くことも大事です。一つの村に馴染むために、ほとんど写真を撮らず一日を過ごすこともあります。撮影を繰り返すうちに、自分なりの人との距離感を見つけることができるはずです。
- 山岳民族の女の子など、子ども2人を構図にしたものがいくつかありますね。
子どもは複数でいる方が、よい表情が撮れます。ただ、動きが早いので、ブレや前後のピントにも注意が必要です。視線は子どもの高さに合わせ、場合によっては地面に座り込んで、一緒に話したり遊んだりしながら撮影します。子どもは好奇心旺盛ですが、警戒心も強いため、一度殻に閉じ込もってしまうとなかなか心を開いてくれません。いつの間にか仲良くなっているような雰囲気作りを大切にしています。
水かけ祭りの撮影は濡れることが前提なので、一眼レフのカメラを水中ハウジングに入れて、僕自身はTシャツと海水パンツ姿です。一眼レフを入れた水中ハウジングは、陸上ではかなりの重量になるので、落下や他人を傷つけないよう配慮します。
- 瞑想の僧侶は、何を表そうとしているのですか?
静まり返った寺院の中、大きな仏教壁画の前でまどろんでいる姿が、時間が止まっているようで自然とシャッターを切っていました。モノクロにしたのは、鮮やかな壁画で表現するよりも、その場の静寂な雰囲気が伝わると思ったからです。僧侶を撮影するにあたり、女性は僧侶の体に触れないように気をつけましょう。
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活気あふれる水上マーケットや
懐かしさを感じる木造家屋 アンパワー
Excitement and reminiscence of Amphawa
- 楠さんおすすめの撮影スポットを教えてください
アンパワーはバンコクからも近く、タイの古き良き街並を残しています。活気あふれる水上マーケットや懐かしさを感じる木造家屋など、撮影せずにはいられなくなるポイントが多いエリアで、主要な場所は30分も歩けば回れるので、一日あればじっくりと被写体を探すことができます。英語を話せる人は少ないですが、タイ人の週末の観光スポットでもあり、程よい観光地なので、人当たりもよく非常に撮影しやすい場所です。
- でも、船も人も常に動いていて、夕方ともなると、暗くてピントがボケしまいそうです。
ブレを抑えるには、シャッタースピードがポイントです。一般に一眼レフでは、装着しているレンズの長さ以下の早さで撮影するとブレが生じやすいといわれています。(たとえば50mmレンズなら、50分の1より遅いシャッタースピードで撮影するとブレやすくなる)これはあくまでも目安で、そのときの状況に応じて極力カメラがぶれない姿勢を保持してください。ときには、三脚の使用も必要です。
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写真はコミュニケーションのツール
Beyond the borders
- 今後はどんなものを撮っていこうとお考えですか?
タイには6年住み、そのあとも足しげく通っていますが、まだ行っていない場所や出会えていない少数民族がたくさんあります。大きな時間の流れのなかでは、民族は流動的で、いつ後数名をほんの125分の1秒や、60分の1秒間だけ閉じ込めたものです。その瞬間だけは、見えない時間を視覚的に確認できるようで、写真を見た人とも意識を共有できる。そういう意味で、写真はコミュニケーションのツールでもあるといえます。
なかでもポートレイトは、ありふれたシーンから何かを伝えるという、メディアの根本的な意義がよくわかる手法だと思います。これからも、写真とはなにかという命題と向き合いながら、ライフワークとして、タイ国内で撮影を続けていくことはもちろん、国境の枠を越えて、民族という広大で深遠なテーマを追いかけていきたいと思います。