写真:写真家 井津建郎先生
2022年3月6日(日)半蔵門ミュージアム(東京)にて、写真家である井津建郎先生の講演会『心で見る聖地と祈り』が「アジアの聖地 井津建郎 プラチナ・プリント写真展」(5月22日まで)のイベントとして開催されました。参加者は、抽選で選ばれた40名のほかオンラインでの視聴も実施。前半は井津先生の講演、後半は当館の渡辺弓雄顧問との質疑応答が行われました。以下、講演内容です。(原文をそのまま掲載)
●聖地との出会い/1枚の撮影にかける
21歳の時にニューヨークにわたり、広告写真で生計を立てながら自分の写真をつくっていました。「人生は旅だ」と言われたことがありますが、まさにそういう気持ちです。30歳直前に、これを機に振り出しに戻って作品を撮ろうとした時に行ったのがエジプトの遺跡でした。
石が持っている記憶。ピラミッドはつくられて数千年経ちますが、石自体は何万年、何億年前からのもので、それが遺跡建造物に使われたのです。遺跡を包む空気感は生活空間と違い、密度が高く感じました。最初は小さいカメラで撮りプリント時に引き伸ばしましたが、エジプトで撮ったネガをニューヨークで焼いてみると、引き伸ばし、そしてネガと印画紙の間の空間によって空気の密度が薄められたように感じました。そこで、引き伸ばす必要のない大きなネガが得られるカメラを使うようになりました。
ヨーロッパや中南米の聖地を撮影して回っていましたが、1993年に東南アジアのカンボジアに行き、アンコールのタ・プローム遺跡を訪れて、これが私の転換期となりました。石造遺跡から大木が伸びている。石は不滅のものと思っていたら、風化によってただの砂になってしまうこともあり、不思議な感じがしました。また、遺跡を守るために木を外そうという計画が現地であり、少し外してみたら、遺跡がガラガラと崩れそうになったのです。現実には木が遺跡を守っていたのです。
カメラはレンズやフィルムなどを合わせると120キロほどになります。フィルム1枚も重たく、運び込むのには一度に120枚が限界です。また、およそ1か月半の旅行なので、1日に2枚か3枚しか撮れません。「この時、この場所、この光」と注意深く被写体と向き合いながら撮ってきました。
2年目カンボジアで撮影の合間に、現地の病院を訪ねたことがありました。そこでの体験から無料診療の子供病院をつくろうと思い、多くの人の協力のもと実現に至りました。今はスタッフが500人くらい働いています。
ブータンでは、それまで撮らなかったポートレートを撮り始めました。その人たちは、自分がどうみられるかということを誰も気せず、その存在が気高く感じられました。カイラス山は、4つの大きな宗教にとっての自然聖地で、聖地のなかの聖地といえます。ラオスのルアンプラバーンにあるパク・ウー石窟院は2000年以上前、仏教伝来以前からの聖地です。インドネシアのボロブドゥールは、火山の噴火で灰に埋もれていたところを修復されたところです。インド北部のラダックでは、1枚の写真を撮影するため、1日中待って日没前の一瞬にかけたこともあります。
これは多くの作品に共通して言えますが、1日のうちある一瞬だけ“気配”が立ち現れ、その瞬間こそが私の求めているものです。
写真:アユタヤ
●質疑応答
――井津さんの写真には神聖さを感じます。撮影ノートを読むと太陽が昇る直前の写真が多い気がします。
お寺や神社の神様は、太陽が真上にある昼間ではなく、夜明け前の空気が純粋にシーンと静まり返っている時に出てくるのではないかと思います。実体ではなく、気配をとらえるための光と考えています。
――撮影ノートの文章はとても上手ですが、何のために書かれているのでしょうか?
自分の心の動きを簡単に書きとめておきます。それを読むと、撮影した時のことが浮かび上がり自然に文章がかけます。清里フォトアートミュージアムで2回目の展覧会をした際、図録に掲載したところ、写真よりもエッセイの方が評判良いと聞きました。
――撮影の仕方は祈りそのもののような気がいたします。
撮影前にはいつも手を合わせていますよ。聖地という場所に対する敬意を払い、大きなカメラを持ち込むことについての御挨拶です。私の旅はまるでカメラを持って巡礼しているかのようです。それは悟るためではなく、自分が生きて、これから生きていくことを考えるためです。
――今回の展覧会は聖地をテーマにしていますが、人物の写真を近年撮り始めたのはなぜでしょうか?
聖地は誰がつくったのか、人間だ。誰がここを聖地と定めたのか、人間だ。そういうことに気が付きました。「画竜点睛」というか、人間という眼が入って聖地が完成するのです。どんな立派な教会でも、それをつくり、祈り、また掃き清めたりする人がいますね。ブータンの人々の生活に祈りが根付いているのを各地で見たのがきっかけです。また自我の極端に少ない人々との出会いを通じて人間の尊厳を改めて見て人間を撮影したくなりました。
――病院建設を実際に行うのは大変だったと思いますが、スタッフにかけた言葉を教えてください。
いつも「すべての患者を自分の子供だと思って接しなさい」というスローガンを伝えていました。
――井津さんの人柄は写真にもあらわれているような気がいたします。
▼『アジアの聖地』井津建郎プラチナ・プリント写真展の開催情報はこちら
1/5(水)~5/22(日)半蔵門ミュージアムにて開催『アジアの聖地』井津建郎 プラチナ・プリント写真展
写真:(左)セークサン・スィープライワン|タイ国政府観光庁東京事務所 所長、(右)写真家 井津建郎先生