異なる価値観と向き合い、
自分を見いだす子供たち
私はおよそ十年間にわたり、京都府内の高校の生徒・五百人余りの訪タイをサポートをしてきました。たとえば一週間のプログラムでは、バンコクで寺院などの見学をしたり、タイ北部のチェンマイの高校で、生徒同士お互いの国の音楽や踊り、料理などの文化を英語で紹介し合って交流を図ったりするのですが、生徒たちにとってとくに印象深いのはホームステイのようですね。一人一家庭で過ごすことで、彼らはより密な異文化とのコミュニケーションに曝されます──いまの日本の流行は? どんな勉強をしているの? 将来何をしたいの? 日本の伝統文化って?──それはタイの人々からの他愛のない質問ですが、しかし彼らはそこで「日本代表」の一人として答えなければなりません。実際、日本の子供たちは答えに詰まるというのが現状です。しかし、そこで子供たちは考え、気づき、大きな発見をします。海外で文化や伝統の違う人たちと「向き合う」ことは、違う価値観を知るということであり、それは自分たちのいまの姿を映し出す「鏡」にもなるのです。
タイの人々の心に触れる旅を、
子供たちにも
その様子を見ていて、私は自分の体験を思い出さずにはいられません。私が初めてタイを訪れたのは二十七歳の時。バンコク北部の農村で一週間過ごしました。電気のない田舎の村で、人々は川で魚を獲り、田で米をつくる日々。老人を敬い、仏に手を合わせ、穏やかに暮らしていました。村で初めての「外国人」だった私を微笑みで受け入れ、帰り際には「今度いつ戻るんだ」と声をかけてくれました。言葉などほとんど通じません。しかし、確かで暖かな心の交流が、私には忘れられないものになりました。そんな体験を子供たちにも、と思うのです。
人生の財産となるような
修学旅行を
いま、いじめやコミュニケーションの断絶といった「人と人とのつながり」のことが社会問題となり、子供たちを取り巻いています。もちろんタイでも日本と同じように教育熱は過熱し、みな将来の夢に向かって競争の日々です。しかし、タイの人たちを見ていると、日本の人々にどれだけ「笑顔」が足りないかということに気づかされます。その笑顔の中に仏教の教えがあり、人から人へ伝えられるタイの人たちのアイデンティティがあります。
自分を別の場所においてみる。そこで自分のことを見つめなおす。日常と違う社会を体験することが修学旅行の本分です。国際社会で生きていく「未来の大人」たちにとって、タイから学ぶことは、何にも変えがたい「財産」となる。このことは、私の三十年余りのタイでの経験から確信していることです。
- 木村茂世(きむら・しげよ)
- 京都府出身、大学卒業後、京都府立高校にて英語科担当教諭として、三十八年間勤務。その間、府立久御山高校教頭、府立鳥羽高校教頭、府立東宇治高校校長をつとめる。現職のころからタイと日本の高校生の交流に尽力、数多くの生徒に国際感覚を養う機会をつくってきた。退職後は日本タイ教育交流協会の代表として、タイと日本の青少年の交流の架け橋として活躍中。